向島鮨商組合
寿司発祥の地−すみだ

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 お寿司についての、一番古い文献は持統3年(1250年程前)でその頃の寿司は魚や貝を塩で漬け、押して自然発酵、酸味を出し「酸し」と呼ばれ、魚だけを食べていたようです。
 徳川時代になって魚を熟らすのに白米を使い2、3カ月かけて「
すし」を作っていました。そのうちに「早ずし」、「一夜ずし」と呼ぶおすしが主流となり、大阪方面の押し寿司がそのイメージに近いのではと思います。
 酢は殺菌力に優れ腐敗を防ぎ、酸味はのどの渇きを防ぐ他、各種の効用が大きい事も、寿司が日本人に浸透、愛され続けた一因でもあるのでしょう。
 万事、上方風と江戸風と大きく二つに分けられますが、その例に洩れず各地方特有のお寿司も多く、いなり寿司、巻き寿司、ちらし寿司、箱寿司など新鮮な魚貝類と寿司米の組合せは多様です。

 
江戸ですし屋が出来たのは1684年、四谷舟町横町の「近江屋」、「駿河屋」との文献にも残っています。
 
江戸風・・・にぎり、巻きずし
 
関西風・・・押し寿司、ちらしずし
 
1781年頃、江戸でにぎり寿司が始まり、その頃の本にものり巻、ゆば巻、笹巻すしが流行とあります。
 現在の形の江戸のにぎりすしの発祥は
1823年両国の与兵衛すしの華屋与兵衛が作ったといわれるのが定説ですが、1781年にはすでに、にぎりずしは作られていました。それを完成し江戸の人気商品にしたのは両国のすし屋の主人・華屋与兵衛の技量、才覚があったからで、江戸前にぎりをメジャーにしたのは間違いなく、墨田発であります。にぎりはしらうお、まぐろ、しめさばなど活きの良いネタを使えるようになったから。
江戸前」徳川時代に江戸の前の海(東京湾)で獲れたイキの良い魚を使っています…とのアピールで、冷蔵法が発達していない時代は江戸前モノで無ければすしは食べれず江戸前以外の魚は知らなかったし、食す事が出来ませんでした。

昭和34年の定価表
 こはだ、はまぐり、げそ、平貝、青やぎ、トリ貝、サバ・・20円
 シャコ、平目、紋甲いか、かんぱち、赤まぐろ・・30円
 鯛、赤貝・・40円
 とろまぐろ、カッパ巻き、あわび・・50円
 鉄火巻60円
 これ以外のものは時価・・・とあったそうですが、一人前とか並、上、特上の一人前という表記はなかったのでしょうか?

 まぐろは昔は
安物といわれ、すしネタでの歴史は新しく1842年まぐろの大漁があって、その処置に困って、日本橋馬喰町の恵美寿鮨がためしに使ったところ美味しくて大流行。冷蔵出来なかったので、醤油につけてヅケにして食べたことが始まりです。今は最高品として大人気ですが、その昔は上流家庭に納める鮨には鮪は入っていなかったそうです。人間の好みは時代によって変化するものですね。

 寿司の値段は昔から
お蕎麦一杯の価格がにぎり一個の価格と云われていた事を思うと、現在の上寿司一人前の価格ともりそば一杯の価格差はそんなに大きくはないのでは?
 お寿司の場合はシャリ、
舎利と書き、火葬にした頭蓋骨を細かく砕くと白い米粒のようになるそうで、古くから飯粒をシャリと呼んでいました。すし米には充分に吟味した古米を使用。秋田、新潟、水郷モノが最適で、良質、純白で透明、光沢があり、硬くて小粒で丸味があって粒が揃い乾燥が良くて重みの有ることが重要。昔はシャリを炊く専門の「シャリ屋」と呼ばれる職人がいたそうです。



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